横浜と3回の東京公演を見終わって、
疲れというよりもちょっと心地よい脱力感に襲われている。
私が頑張って駆け抜けたというより、
リダが私の前をものすごい勢いで通り過ぎたように思える。
最初の抽選に落ちたとき、4回行かれるとは思っていなかったけど、
追加公演と、まあいろいろ手を尽くしてみたおかけで、
なんとかチケットを確保することができた。
大枚はたかないと駄目かなあと思ったこともあったけど、
それもまあ、どうにかこうにか。
リダを目の前にしたら、すべて“ちゃら”かな。
こういうのが終わると満足感を得る人と、
かえって飢餓感が増す人と、
それは人によるのだろう。
まだ福岡公演を残しているけど、
リダはどうだろう?
今できることはやりきったと思えるか、
まだまだやりたいことがいろいろあったと思うか。
おそらくだけど、やっていけるという手ごたえはつかんでくれたんじゃないか。
それくらいの声援とパワーを東京国際フォーラムのファンは送ったでしょう?
1つ公演が終わると、続々とレポもでるし画像も出る(どうして出るかわからないけど)。
リダにメロメロというコメントも出るし、
どういうわけかちょっとすっきりしない感想も出てくる。
熱い興奮につつまれた会場で一時だけちょっと冷静になったことがあって、
その時も誰もがステージのたった一点、リダだけを見ていたと思うけれど、
この5000人に対してリダが放っているものは何だろう?なんてことを考えた。
ほかの誰にもない華なのか、毒なのか。
大輪の美しい花ならば、それに吸い寄せられてしまうのはわかるし、
毒であれば、いずれ中毒になってしまうのだろうか。
SS501は花の濃厚な匂いやあやうい毒を放つグループじゃなかった。
それぞれの持ち味がなんだかうまく中和されて、
やわらかく親しみのある雰囲気を漂わせていた。
リダは一人になって、とりわけ強い香りや毒気を放つ。
人によってそれを花と思うなら、ゆっくりといつまでも愛でていようと思うだろうし、
毒ならば、たまにはどこかで毒を吐かないと一気に中毒になりかねない。
そうか、それでみんなああだこうだ言いながらも、
リダに無関心でいられず、リダペンをやめられないのね。
ソロデビューの最初のころにしか披露しなかった「チェバル」。
今、MVを見るとよくわかる。
ツアーのステージでは、ナマリダは、
このMVよりももっとたくさんの色香を振りまいていた。