K-POPが日本に新しい音楽をもたらしたと言われるけど、
日本での音楽のジャンル分けではK-POPはまだまだ「アジア音楽」の一部だし、
その他の分類からは大きく水をあけられている。
日本市場からK-POPが得たものの方がずっと多いだろうと思う。
作り方、
売り方、
コンサートの演出、
コンサートのDVD化、
ドラマとのタイアップ、
メディアの露出の仕方、
ファンとのコンタクト 等々。
衣装やメークだって違う。
最初からJ-POPとして売り出すやり方から、
K-POPをそのまま持ち込むやり方へ変わってきてはいるけれど、
あらゆるジャンルが日本で受け入れられるかといえばそうでもない。
ソロ歌手はいまいち伸びないし、
バンドもうまいだけではすでにたくさんのバンドがいるだけに、目立つのはたやすくない。
その後多くのK-POPアイドルたちの進出を可能にした。
SS501の日本での経験や失敗は、確実にKARAの成功の下地になったと思う。
KARAの成功は日本と韓国の温度差やファンの傾向の違いを明らかにした。
アイドルと俳優を両立しながら、ファンと一緒に成長していくことを夢見ているだろうし、
AKBのようにそれぞれが違う事務所でもグループとしての活動をやっていけるノウハウを、
知りたくてたまらないだろうと思う。
日本でもこういうのは長い時間の試行錯誤の中からできあがってきたしくみなので、
目先の利益だけで、いろんなことを急に変えられたわけではない。
表面で見えるだけのメンバーの数よりもずっとたくさんの裏で支える人たちの意識も変わらなければ、
その先の夢を追いかけることができないのだ。
多くの人を動かさなければいけないという時点で、
それはそれによってみんなが生活していけるだけのものを生み出さなければならないし、
長く続けていくだけの資金や信頼も生み出さなければいけない。
SS501はいっときは本当に先のことがわからなかったんじゃないかな。
若者たちの夢だけが未来を支える時期を過ぎて、
どうしたらいい方向に進めるか、
一人ひとりが自分の経験から得た知恵を出し合う時期に来たのだと思う。
26日のステージを作るまでに、
やるタイミングだとか、やり方だとか、なにを歌うかだとか、
それぞれの事務所との関係だとか、
いつ告知をだすかとか、
衣装はどうするかとか、
いろんな調整が必要だったと思う。
5人を取りまとめてくれる人がいないのなら、
それは5人で話し合うしかなかっただろうし、
5人が話し合ってやったことならば、
それはファンとしても納得しないと。
何でリダだけが持ち歌を歌えるの?ということについてはあれこれ考えてみたけど、
ソロ歌手キム・ヒョンジュンがホ・ヨンセンコンサートのゲストに出演して持ち歌を歌うということで、
会社間の問題が解決したんならそれでいいんじゃないかな?
(日本風にいうと、仁義を切った?)
「コマッタ」はSS501の曲だけどリダのソロ曲。
「URMAN」と「ネモリ」は厳密には3人の曲で、
リダの曲じゃない。
「えんどう豆」は5人が作詞しているから、5人で歌うことに問題がないのだろう。
リダには持ち歌を歌わなきゃいけない理由があり、
SS501の5人の曲は歌っていなくて、
公務員として勤務中の一般人であるキュジョンをステージにあげて、
一緒にファンへのメッセージソングだけを歌った。
5人のハーモニーを聴かせたのはリダの機転のようにいわれていて真意はわからないけど、
あれこれ言うよりわかりやすかったんじゃないかと。
これをファンがどう受け止めるか、
やってみて、どういう方向性が開けるか。
それも彼らにとっては実験であり経験なんだと思う。
この前8周年に4人でメッセージを出したときのファンの反応はわかってるわけだし。
なによりも、やってみて彼ら自身が心地よかったかどうか、
それが今後に一番重要なことと思う。
デビューまでのM!Pickをドキドキ、わくわくしながら、
ほんとにこの子たちデビューできるのかな?と見ていたように、
今、再結成までの「8年後のM!Pick」を見てるような気がする。
それで十分。
今、「Love Ya」がちゃんと踊れるのはヨンセンだけ!