韓国ドラマファンをちょっとばかり長くやっているので、
そっち方面はちょっとばかり詳しい。
なので韓ドラファンっていうものがどういうものかは、
ちょっとはわかってるつもりです。
K-POPファンと違って、俳優のファンは生の本人に会えるということはめったにない。
なのでK-POPをかじってみて、
「コンサートをみなくちゃあ」と思ったとき、
それそのものが彼らにとって「作品」であるということに、改めて気づかされた。
俳優にとって作品は「ドラマ」であり「映画」だから。
その上で彼らは何か「自分とは別の人」になっているわけであり、
ファンはそれを見て、心ときめかせたり舞い上がったりしてるわけ。
「コンサート」のように、いまそこで動く相手を見るわけじゃない。
生の俳優に会いたければ、いわゆる「ファン・ミーティング」みたいなものに行くしかなく、
そこにいるのは、何の役も演じていない本人なわけなんだけれど、
これがクセモノで、
プロ意識に徹した人は、ファンが何を望んでいるのかを察知して、
ある意味その通りに舞台でも「演じてくれる」のだが、
そういうのがない人は、演じた役のかっこよさとかが微塵もない素顔をさらしてしまう。
韓ドラファンは、かなり妄想癖度が高い人たちだと思うのだが、
かなりの高い水準で俳優本人と演じた役のキャラクターを混同し、
役柄の性格や行動そのものが、俳優本人のものだと錯覚する。
そして、錯覚だと気づかぬフリをして、俳優たちをその妄想のなかに閉じ込め、自分はその中を泳ぐ。
ちょっとばかり韓ドラファンとしてどっぷりつかっていた経験から言うと(今でもだけど)、
これがけっこう快感なんですね。
妄想は果てしなく広がり、限りなく続くのであります。
K-POPアイドルたちは、舞台の上とそうでない時をわりと簡単にさらすので、
ファンもその辺は心得てますね。
で、(何がいいたいかというと)俳優でも次々に作品に出る人たちは、
その作品で次々に、別の姿を見せてくれるので、ファンが妄想してる時間がないんです。
で、それはどういうことかというと、次の作品まで時間がかかればかかるほど、
ファンの妄想は広がり、嘘と現実の境界線がなくなって・・・・。
おそらく実像以上のなにか別なものが作り上げられてしまうんですね。
良い例がいわゆる「ヨン様ファン」です。
彼があまりに作品に出ないために、ファンがすることといえば、
彼を主人公にした作り話を作ってみたり、彼の画像をつかって別世界を創造してみたり・・・。
彼ほどいわゆる「創作」といわれる世界を作り上げるファンを持っている俳優も、そうはいないと思います。
彼自身がそのイメージを崩さないためにどれほどの努力をしているかは、
想像するのも気の毒なんですけど。
ま、でも、彼がすごいなと思ったのは、
彼は商用には肖像権を厳しく管理しますが、
彼の画像を勝手に作り変えては遊ぶファンたちには、
「ファンが喜んでくれるのなら、どうぞ」と寛大なことです。
K-POPファンには、理解できない世界なのかも。
それはこの前、「さいたま」に行った時、ある方から、
「俳優さんのファンミって、何するんですか?」と聞かれたときに気づいた。
(えっと、今日どうやってこの話をSS501につなげるかっていうと)
つまりね、あまりの空白は、
もう何を言われてもしょうがないんじゃないかな?ってこと。
ジャケット公表以来の「静けさ」の意味は今日わかりましたよ。
1週間もたってリダのケガを公表した理由はわかりませんが。
その1週間がまた妄想をかきたてるでしょう。
ネットのどこにもでなかったっていうことは、かなりの情報統制をしたんじゃないかと想像してしまいます。
そうしなければならなかった意味も、いずれわかるかもしれません。
(誰かがどっかでしゃべるかもね)
アルバムリリースでちょっと近づいた気がしたのに、
また遠ざかる。
君からもっと近づいて
キラキラ舞う Butterfly
待てないよ 君をつかまえていい?