4 Chance

K-POPについて日々思うこと。曲やコンサートの感想。

冷静と情熱のあいだ

リダの移籍が発表されたときから、

こうなるだろうっていうことは目に見えてたんだ。

「露出が少なくなる」

いま、リダは所属事務所の重要なコンテンツとして扱われていて、

もういままでのような気ままな姿では現れないだろうということ。

どういう映像も画像も「ビジネスになるもの」として、扱われるだろうということ。

意味なくネットに流れることはなくなるだろうということ。

肖像権や著作権がきちんとしている先進国の住民なら、その辺はちゃんと理解すべきことだ。

冷静に大人として考えれば、ちゃんとわかる。

有名人だからといって、何もかもがオープンにされていいっていうわけじゃないし、

誰にでもプライバシーがあり、有名税という一見もっともらしい言葉でかくされても、

守られるべき権利は守られないといけない。

ファンであるからといって、その一線をこえることは許されない。

客観的に見れば、そういう環境が整うことは、大事なことなのだ。

セミッキーマウスも盗作もパクリも、

厳密にいえばあっちゃいけない代物だから。

でもなんか、すごくさみしい。

そういえば「SS501」という検索ワードで、ひっかかることも少なくなったように思う。

キム・ヒョンジュンという名前から「SS501の」という修飾語がなくなっちゃってるし。

あまりに無防備な姿に慣れすぎていたせいか、

がんばる姿を全部見せるというデビューのやりかたのせいか、

極端に露出が減ったことに、ちょっと戸惑いを覚える。

いろんな仕事をするリダの明るい笑顔を見られるのはうれしいけど、

でも、笑顔だけしか見られないのは、なんだかさみしい。

俳優としてはそうあってもいいかも、と思う。

俳優は演じているときが、すべてだから。

役柄と本人は別の人であってもそれはそれで。

歌手たちはまた違う世界を生きてると思う。

ライブという映画やドラマの俳優たちにはない世界を持ってる。

ファンがすぐそこにいて、

その声援を聞きながらの1回きりの勝負。

ファンと一緒にがんばってきたということ。

そうやって成長してきたんだということを、

新しい事務所はわかってくれてるのかどうかわからないけど。

「良い姿だけをお見せすること」がファンにとってうれしいのかどうか・・・。

それから。

コンテンツとして管理されることで、

かえってリダの自由が奪われないように、とも思う。

行きたいところへ行き、

友人たちとサッカーを楽しみ、

時にははめをはずすことがあっても、

それが自由にできないような日々を過ごすことがないように。

それが活躍のためにはらう代償ならなんだか悲しすぎる。

さて、ファンとしてはそうなることでどういう代償をしはらうのか。

いままでのように、あっちこっちのサイトやブログで楽しむことができなくなるのなら、

いまある情熱の行き場をどうすればいいのか。

「Passion」 by SS501