先週あたりからか、
書店の韓流コーナーにはずらっとパク・ヨンハの笑顔が並んでいる。
たくさんの追悼本がでているから。
なんだか彼の笑顔というか目を細めた穏やかな顔を見ているだけで悲しくなるから、
全部に目を通すことはとってもできないけど、
いくつか手にした雑誌にたまたま彼を偲ぶ記事が出ていることがある。
ほんとに普通のきもちのやさしい青年だった。
というのが、概ねどの記事にも書かれていることだ。
彼みたいな少し残念ないなくなり方をした人は、
そういわれることが多いように思う。
思うに、芸能人なんて「普通の人」ではありえないのだ。
人前でなにかをするだけでも、
一般人には気の遠くなるような「仕事」だ。
仮に、歌を歌うとか演技をするとかじゃなく、
自分がいつも会社の机でやっているような仕事を、
四方八方から常に誰かに見られ、記録されていることを考えたら、
会社の行きも帰りも、いつも誰かに見つかることを心配して、
背筋を伸ばして、一分のすきもないように歩いていなければならないとしたら。
そんな毎日は想像を絶する。
賞賛を浴び、スポットライトを浴びることは、
それはまた想像もできないほどの高揚があるのだろうけど、
それは普通だからではないからこそ、得られるものなのだ。
そしてそれは限られた一部の人にしか与えられないものなのだから、
その人たちは「普通」であることはもはや許されないのだろうと思うし、
普通であろうとすればするほど、そのギャップに悩むことになるのだろう。
普通でいたければ、誰からも四六時中見られている存在にはなれないし、
おそらくなってはいけないのだ。
人気が出れば出るほど、
公式に披露される以外の画像や動画がどんどん出てくる。
ファンであるほど、それが希少であればあるほど、喜ぶ。
それをどうぞご自由にというか、
いつでもスキのない姿を見せようとするかは、
本人の性格によるものだろうけど、
エスカレートするほど追うほうも逃げるほうも本気になる。
あっちも「普通に暮らしたい」と思うだろうし、
こっちも「おかしい」とは思われたくないけど。
ちょっとどうかしてると思われるくらい、
クリックしまくったり、
寝ないでネットを探しまくったり、
何時間も行列したり、
途方もないお金をつぎ込んだりしないと、
どうにもならないってのは、どうにかならないのだろうか。
普通でない人を追いかけてるから、しょうがないのかなあ。
どんどん もっとはまっていく
I'm obsessed with you
wanna be with you