4 Chance

K-POPについて日々思うこと。曲やコンサートの感想。

ユン・ジフ≠キム・ヒョンジュン≠ペク・スンジョ

キャラクターとしてのユン・ジフとペク・スンジョにはあまり共通点がないように見える。

ユン・ジフのイメージから抜け出したかったリダが、

次に選んだ役なのだからそれはそうなんだろうけど。

しいていえば、

「育ちがいいこと」

「愛想がないこと」

「勉強ができること」(いずれ医者になる・・・花沢類はならないけど)

「かっこいいこと」

「女性慣れしてるかどうか」は、

今後のペク・スンジョがどういう描かれ方をするかを見ないとわからない。

ユン・ジフはまあそこそこかな。

ユン・ジフには子どものころからの友達がいて、

ペク・スンジョには、いるのかいないのか。

最大の違いは、

ペク・スンジョには彼にとってはやっかいながらも、

なにかとにぎやかな家族がいて、

ユン・ジフは一人ぼっちだっていうこと。

花沢類にも家族の影はない。

これらのキャラクターとそれを演じるリダとの共通点を見出そうとするのは、

なんとも無粋なことだと思う。

そのときリダはキム・ヒョンジュンではなく、

ユン・ジフでありペク・スンジョなのだから。

これだけ違うマンガのキャラのどっちにも似てるっていうのが、

リダのすごいところだ。

ただ、似てるというだけで、同じではないだろうと思う。

ちょっとした縁があって、俳優を職業としている人と知り合いになる機会があった。

最初こそ、え~、テレビに出てる人?なんて思っていたけど、

何回か食事をしたり出かけたりするうちに、ちょっと意外なことになった。

その人が出ているドラマが面白くなくなったのだ。

ナマの本人を知ってしまうと、どうしても画面の中で何かの役をやっているその人が、

ご飯を一緒に食べている人と一緒になってしまって、

どういう役をやろうと、たとえ江戸時代に生きていようと、

なんだかドラマに集中できなくなるのだ。

ドラマに入り込むどころか、

「あ~、今回はずいぶん演技してるんだなあ」とか

「今回は素に近いのね」とか、

そんなストーリーとは関係のないことが浮かんでしまって。

これって、俳優には迷惑なことなんだろうと思う。

俳優にとっては本当の性格やプライベートを明かすことって、

けっこう冒険なんだと思った。

ある意味、危険。

余計な先入観や固定観念なく、新しい役、ストーリーに入り込んでもらうためには、

素の自分は、オブラートに包んでしまったほうがきっと楽なのだ。

リダは以前、「ユン・ジフのイメージを消したい」と言っていた。

ユン・ジフが素の自分とは違うから、と言うことだと思う。

そのギャップが悩ましかったということだろうか。

俳優として新しい一歩を踏み出した今は、どうだろう?

キム・ヒョンジュンでなく、

ペク・スンジョとして見てもらうことが一番なんじゃないだろうか。

無口だけど男らしくて、弟たちを思う、グループのリーダーじゃなくて、

人と関わろうとせず、頭の悪い女が大嫌いで、ちょっと冷たいペク・スンジョ。

演技力とかがどうこういわれているけど、

いま、彼を邪魔しているのは、

SS501のリーダー、キム・ヒョンジュン」というファンである私たちの先入観、

「リダはこういう人」という思い込みだと思う。

リダ、うまいとか、がんばってるとか思ってるうちは、

まだまだ「ペク・スンジョ」にははまりきれてない。

ハードスケジュールで、「体が心配」なんて思われてるうちは、

キム・ヒョンジュンが見え隠れしてるんだろう。

そんなのドラマが終わってからの、後日談でいいんじゃないか、

メイキングを見ながらドラマを見たって、しょうがないなあと思う。

sunjo