キャラクターとしてのユン・ジフとペク・スンジョにはあまり共通点がないように見える。
ユン・ジフのイメージから抜け出したかったリダが、
次に選んだ役なのだからそれはそうなんだろうけど。
しいていえば、
「育ちがいいこと」
「愛想がないこと」
「勉強ができること」(いずれ医者になる・・・花沢類はならないけど)
「かっこいいこと」
「女性慣れしてるかどうか」は、
今後のペク・スンジョがどういう描かれ方をするかを見ないとわからない。
ユン・ジフはまあそこそこかな。
ユン・ジフには子どものころからの友達がいて、
ペク・スンジョには、いるのかいないのか。
最大の違いは、
ペク・スンジョには彼にとってはやっかいながらも、
なにかとにぎやかな家族がいて、
ユン・ジフは一人ぼっちだっていうこと。
花沢類にも家族の影はない。
これらのキャラクターとそれを演じるリダとの共通点を見出そうとするのは、
なんとも無粋なことだと思う。
そのときリダはキム・ヒョンジュンではなく、
ユン・ジフでありペク・スンジョなのだから。
これだけ違うマンガのキャラのどっちにも似てるっていうのが、
リダのすごいところだ。
ただ、似てるというだけで、同じではないだろうと思う。
ちょっとした縁があって、俳優を職業としている人と知り合いになる機会があった。
最初こそ、え~、テレビに出てる人?なんて思っていたけど、
何回か食事をしたり出かけたりするうちに、ちょっと意外なことになった。
その人が出ているドラマが面白くなくなったのだ。
ナマの本人を知ってしまうと、どうしても画面の中で何かの役をやっているその人が、
ご飯を一緒に食べている人と一緒になってしまって、
どういう役をやろうと、たとえ江戸時代に生きていようと、
なんだかドラマに集中できなくなるのだ。
ドラマに入り込むどころか、
「あ~、今回はずいぶん演技してるんだなあ」とか
「今回は素に近いのね」とか、
そんなストーリーとは関係のないことが浮かんでしまって。
これって、俳優には迷惑なことなんだろうと思う。
俳優にとっては本当の性格やプライベートを明かすことって、
けっこう冒険なんだと思った。
ある意味、危険。
余計な先入観や固定観念なく、新しい役、ストーリーに入り込んでもらうためには、
素の自分は、オブラートに包んでしまったほうがきっと楽なのだ。
リダは以前、「ユン・ジフのイメージを消したい」と言っていた。
ユン・ジフが素の自分とは違うから、と言うことだと思う。
そのギャップが悩ましかったということだろうか。
俳優として新しい一歩を踏み出した今は、どうだろう?
キム・ヒョンジュンでなく、
ペク・スンジョとして見てもらうことが一番なんじゃないだろうか。
無口だけど男らしくて、弟たちを思う、グループのリーダーじゃなくて、
人と関わろうとせず、頭の悪い女が大嫌いで、ちょっと冷たいペク・スンジョ。
演技力とかがどうこういわれているけど、
いま、彼を邪魔しているのは、
「SS501のリーダー、キム・ヒョンジュン」というファンである私たちの先入観、
「リダはこういう人」という思い込みだと思う。
リダ、うまいとか、がんばってるとか思ってるうちは、
まだまだ「ペク・スンジョ」にははまりきれてない。
ハードスケジュールで、「体が心配」なんて思われてるうちは、
キム・ヒョンジュンが見え隠れしてるんだろう。
そんなのドラマが終わってからの、後日談でいいんじゃないか、
メイキングを見ながらドラマを見たって、しょうがないなあと思う。