今年のフィギュアスケートシーズンの幕開けとなる日本オープンをテレビ観戦してました。
シーズン初めと言うこともあるし、
地域対抗といってもそれほど緊張感があるわけでもない大会だったけど、
フィギュアファンは今年初めてのプログラム披露とあって期待してたんでしょう。
採点方法なんて全然興味ないから、
いつもテレビを見ながら、
ああ今回は5分が長かったなとか、短かったなとか、
そんなことを基準に、よかったとか悪かったとか言いながら見てます。
長いということは、転んだりジャンプが上手く飛べなかったりで、
おそらく滑ってるほうもリズムに乗れなかったのかなということだろうし、
短かったというのは、「魅せたね~、今日は」って言うことなんだろうと思う。
ただ失敗しても、目を離せないこともあるし、
ミスがなくても無難だったなあとしか思わないこともあるので、
あまりアテにはならない、素人の感想ですが。
スポーツであり技術を競う採点競技であるのに、
どういうわけか「演技力」とか「色っぽさ」を問われるフィギュアスケート。
そのところがまったくもって今だに理解不能なんだけど、
確かに「すばらしい」と思う演技には、そういうポイントがなくてはならない。
それでもって、そういうところっていうのは、
練習とか努力っていうアスリート的な面よりも、
育ちとか今抱えている問題とか、そういうことが出てきてしまうんじゃないかな、と思う。
フィギュア一家に育ち、スケーティングはもちろん、
言動も含めてあらゆるところに育ちの良さを感じる小塚君。
スケートをすることになんの迷いもなさそうな感じが高感度バグツン。
裕福じゃない家庭にそだったために、
スケートを続けることで苦労してきた高橋君。
金メダル候補なのに、お母さんがバンクーバーへ応援に行けなかったと言う話を聞いたときは、
思わずほろっと涙したよ。
女が惹かれてしまう最大のポイントを、この2人はそれぞれ持ってると思う。
(女の好みがどっちかに分かれるということじゃなくて)
育ちのよい屈託のなさには、もろ手を挙げて降参し、
ちょっとすさんだ過去には、いけないと思いつつ、惹かれてしまう。
(すいません。2人のファンには激しく反論を買うかもしれませんが、
ここはフィギュアに門外漢のK-POPファンのブログなので)
僕にはスケートがある!っていうのと、
僕にはスケートしかない!っていう違いっていうか。
今日の高橋君の演技をみていて思ったんですが、
最近聴いたジェジュンの曲と同じものを感じるのだわ。
(ここで、いきなりな、ジェジュン)
彼らをどう批判し、いろんなことで追いつめても、
やっぱり歌っているジェジュンの歌声には抗いがたい魅力があるとつくづく感じています。
彼が今直面するたくさんのことがどれほど大変かなんて想像もつかないし、
彼から離れていく人も多いのかもしれないけど、
この歌声をまた新しく愛する人もたくさんあらわれるに違いない。
ただ上手く歌うというだけでは、こういう風には聴こえないと思う。
詩情を感じるジェジュンの歌声。