4 Chance

K-POPについて日々思うこと。曲やコンサートの感想。

入江君は日本人

最後まで、すごい(というかひどい)視聴率でした。

いつくるか、いつくるかと思いながらみてたけど、

とうとう浮上しなかった。

視聴率って不思議。

録画もできネット視聴もできる今、どれほどの意味があるんだろうと思う。

ためしに見て、面白くないからやめるんなら、

ためしに見たときに1回くらい視聴率が上がってもよさそうなのに。

視聴率最低、って言う記事がでたら、

どれ、そんなにひどいのか?って見たくもなるってもんでしょうに。

ネット視聴でもいいところにくると、突然紙芝居になる。

急にアクセスが集中するんでしょうけど、どうしてわかるの?

そこが「いいところ」だって。

ともあれ、記憶よりも記録に残るドラマになったようです>イタKISS。

リダペンとしてはリダのせいにはしたくないところだけど、

主役としてはそうも言ってられないでしょう。

やっぱり「入江君」っていう「日本人の男」の役は理解しがたかったのかな。

花男」のようにいろんな設定を韓国風に味付けすればよかったのかもしれない。

花沢類はユン・ジフのように熱くせつなくはならないところを、

韓国版ではユン・ジフがクム・ジャンディに対してそうせざるを得ないような背景を付け加えた。

イタズラなKISS」はほぼ原作マンガどおりの設定と展開。

前にも書いたけど、少女マンガ的はちゃめちゃな展開を

どう実写版で見せるかが最大の見せ所だったんだけど、

結局はリダが入江君をどこまで表現するかだったと思う。

死ぬか生きるか、のるかそるかほどの見せ場もなく、

入江君に至っては、人生に何の障害も見えない。

かれにとって面倒でやっかいなことが次々におこるだけで、

でもそれを入江君らしくさらっと解決するとことが、入江君らしいところ。

だから入江君は難しいキャラなんだってば。

およそフツウ人ではない。

それに「日本人」だ。

普通の日本人にとっても入江君のキャラは破格だけど、

かといって入江君がじゃあ、どこの国の人にみえるかっていうと、

どうやっても日本人にしか見えない。

リダのキャラをどう生かそうとしてキャスティングしたのかわからないけど、

韓国人キャラとしてのぺク・スンジョをていねいに演出すればまた違ったのかもしれない。

全体はあくまで「日本のマンガ」だった。

ぺク・スンジョだけが韓国人らしいキャラになるわけにはいかなかったのだろう。

じゃあ、他の俳優さんたちはどうだったのかというと、

さすがに本職の俳優さんたちは、役を消化するというワザを知ってるらしい。

なりきるっていうか、乗り移るっていうか、

自分の演技にキャラを引き寄せる技術というか。

入江君というキャラをリダが自分のほうに引っ張ることもできず、

リダが入江君になりきることができなかったことがやっぱりいけなかったかな。

(じゃあ、台湾版のヒットはなに?と思うけど、それは見てないからなんともいえない)

ハニへの想いを自覚するにつれて、スンジョの表情には「フツウの男の子」が表れたけど、

琴子が好きでも入江君はずっと入江君で、けっしてフツウの男にはならない。

入江君にはIQ200の人にしかわからない孤高の孤独、

なんでもわかちゃうし、なんでもできちゃうっていう(凡人にははかり知れない)悩みがあるんだけど、

それが琴子によってしか癒されないっていうところが伝わらないと・・・。

それでまた琴子が一向に成長しないところが、

韓国的にはダメだったのかも・・・。

ああ、でもリダ。

この役はリダペンにとってはたまんない役だったわ。

ストーリーなんかすっとばして、

16話全部のリダのシーンをひとまとめに保存にしたい。

たぶん、スンジョの画像は、これから「いろんなもの」になると思う。

そういう点では映像をキレイに撮ると評判の、

ファン・インレ監督作品っていうのはファンにとっては正解だった。

どんな俳優も、すべての作品がヒット作品というわけじゃない。

だけど優れた俳優にはかならず「代表作」がある。

いずれ「俳優キム・ヒョンジュン」が「代表作」に出会うことになるかもしれないけど、

リダペンにとっては、「イタズラなKISS」はまちがいなく、

永久お宝作よ。

「One More Time」 by Kim Hyun Joong

日本の男として、多くを語らない入江君が、

イタズラでない本気のキスで気持ちを伝えるところが、

このドラマの最大の見せ場だった。