「ほほえみプロジェクト」では、
隣が知らない人だもんで、ああだこうだと騒ぐわけにも行かず、
(だってどうやら、みんな最後のヨン様だけをじ~っと待ってる様子)
おかげでじ~っくりリダを見られたっていうか。
ヨン様、さすがの貫禄だったわ。
歌わず、踊らず、面白いことも言わないのに、
あれだけの観客の視線を一時もそらさせないっていうのは、本当にすごいです。
リダだって5人でいるときは、さすがにリーダーだわといわせる場面があるけど、
ドームでは本当に「若造」に見えました。
それが気楽だったかもしれないし、気を使ったかもしれないし、
たくさんの観衆が、「どれ、どんな子かしら?」って見にきたかもしれないけど、
リダも、たくさんのいつもと違うお客さんをみて楽しめたんじゃないかしら?
「誰?」と言うテロップと、
「リトルヨン様」という呼ばれ方があっちこっちで物議をかもしているけど、
とっかかりとしては、そんなものだろうという気がしている。
まだしばらくは「キム・ヒョンジュン」という名前より、
「リトルヨン様」と言う名前のほうが大きいのだろうけど、
その名で呼ばれる限り、当分はリダの紹介記事が続きざまに出ることはまちがいないのだから。
来年、マンネちゃんのミュージカルが日本にくるかも、見たいな情報もちらほら見かけるけど
それまでには、2人の「キム・ヒョンジュン」の違いを明確にしとかなくちゃいけない。
それで「もうひとりのキム・ヒョンジュン」だって、きちんと区別されるはずだし。
いつまでも「花男の子」ではいけないし、
「キム・ヒョンジュン」として認知されるための前哨戦なのだから。
売り出し方にはいろいろな戦略があるだろうけど、
人気商売であればこそ、時の流れを上手に呼んで、それに乗っかる必要はあるのだ。
まして相手は、「秋の空」にたとえられる移り気な女たちなのだから。
ヨン様は今は事業のほうが忙しくて、あまり俳優業をやっていない。
(年明けのドラマにはちょっと顔を出すようだけど)
あれだけのイメージがあると、役によって簡単に変わることは難しいし、
「ヨン様」という役以外をやることが出来なくなってるような気がする。
でもそれはそれで、他の人が取って代わることができない、重要なポジションだ。
そのポジションを上手につかって、事業やチャリティへと、
彼は彼なりに、世界を広げていると思う。
私がいやだなあと思うのは、
ファンが「キム・ヒョンジュン」と言う人はこういう人、と決めつけて、
リダが「キム・ヒョンジュン」以外になれなくなることだ。
歌手としてももちろん、どんどん違ったジャンルに挑戦してほしいし、
俳優を目指すなら、ちゃんと役になりきってドキドキ、はらはらさせてほしいと思う。
忙しい毎日の中で、誰かにはまってどっぷりつかるって言うことは、
一種の逃避で、それによって癒されなきゃ意味がないかもと思っていたけど、
実際にはまってみると、癒しどころか、本当にドキドキの連続だ。
でも不思議と、リダを見ながら、ずっと安心して和んでいたいとはあんまり思わない。
「リダの生涯」みたいなドラマを見ているように、
え~、次はどうなるの? どうしてそうなるの?と思いながら、
それはそれで楽しんでいるのが楽しいのであります。
さながら、今は「リダの青春編」が終わって、「新たな旅立ち編」を見ているような、感覚。
あ、「ほほえみプロジェクト」の感想ですね。
「Please be to nice to me」の「ナマ」がすごかった~。
はじめてナマ歌&ダンスを見ました。
あれは、いろ~んなパターンを見ないと、
たぶんあれ1回じゃ、堪能できないかも。
それでリダが何しゃべったかな~って思い出そうとしてるんですが、
「ゴメンネ」のインパクトと、
「ヨン様出生時4400g」っていうのが妙に頭にこびりついてて・・・。
あと手を振りながら花道を歩くGACKTのオーラですかね。
あの会場であんな遠くからオーラを感じさせるって、
やっぱり相当芝居がかってて、ちょうどいいのかも。
そういう意味で、ファニが言っていたように、
「東京ドームは歌手にとって特別な場所」なんでしょう。
「何か」が必要なんですね。