何でも「てんこ盛り」というのが、
私の韓国という国に対する印象だ。
食べ物もそうだし、
ドラマや映画の長さも、
とにかく何でも日本のものより「量が多い」。
質はまあ、それによってさまざまだけど、
もうちょっと凝縮してもいいのにね、と思うこともしばしば。
日本のドラマ、1クール10話に慣れていると、
韓ドラの20話はすごく長い。
80話なんて、気が遠くなる。
映画館でも、韓国映画は必ず座りすぎてお尻が痛くなる。
20話のドラマに慣れてくると、
日本のドラマはなんとも物足りなく感じるけど、
日本放送用に1話15分くらいカットされててもあんまり違和感がなかったりする。
「余分」が多いのだ。韓国は。
日本ではじめて放送された韓ドラは「イブのすべて」だけれど、
20話のドラマがそのときはなんと10話に短縮されていた。
私はその放送を見たけど、ドラマとしてちゃんと成立していたから、
半分削ってもドラマの核となるストーリーは残り、
削られた分は、「余分な話」なんだろう。
確かに、主人公たちだけで話が進む日本のドラマと違って、
脇役たちの人生も華やかな韓ドラ。
その分、脇役たちのキャラも濃く、イジワルな性格も度を越している。
いけなかったSM TOWNが40数曲、Super Show 3が30曲以上と聞いて、
それもまたずいぶんてんこ盛りだなあと思った。
ファンにしてみれば、おなかいっぱいにしてくれてありがとうというところだろうけど、
曲数を聞いただけでおなかいっぱいになりましたよ。
何にでも「余韻」を残すのが日本流だ。
腹八分目と言う言葉もあり、「う~ん、あともう少し欲しかったな」っていうところで、
とどめておくところに美学がある。
物足りなさではなく、あくまで「余韻」だ。
それがあることで、中身の美しさをより際立たせる。
文化の違いと言ってしまえばそれまでだけど、
おなかがいっぱいになったあとも、それで満足と言うことはない。
前の満腹感を覚えているから、「もっと、もっと」となる。
次がよりもっとになれば、満足感はいっぱいだろうけど、
当然、そんなことをくりかえしたら、気づかないうちに太るよね。
この場合、体ではなく精神が太る。
いつも満たされない気持ちだけが残る。
それが途中で補給困難になったら、欲求不満だけがのこって、当たり前だろう。
SS501はめずらしく、余韻をいっぱい残したグループだったと思う。
韓国での活動も日本での活動も、
出した曲の数も、コンサートの数も、
あれ? これだけ? みたいなグループだった。
ファンがおなかをいっぱいにする前に、
なんだか今のようなことになった。
「もう、そんなのやだ」って言って、
ファンが心変わりするという危険も十分に残しながら、
なんだか次のステージへ向かった。
料理は一度に出ないといやな人と、
次々にいろんなものが出てくるのが楽しい人と、いろいろいるだろうけど、
「やだ、やだ」といいながら、結局は待つ羽目になってしまうところが、
ちょこっとずつ懐石料理風なSS501。