先日、JYJの日本公演があると聞いて、
絶対に行く!と意気込んでいたのだが、
その会場が「国営ひたち海浜公園」というので、
その場所の遠さ、不便さにかなりひるんでいると、
それを聞いた友人が、
「そんなの高いお金払ってわざわざ行かなくても、DVDじゃだめなの?」
と言った。
こう言いきってしまう相手には、
どんなにライブがかっこよくて楽しいかをいくら力説しても無理かなあと思う。
それで、ピアニストを目指していた友人の話を思い出した。
もうかなり昔の話だけど、
プロを目指していた彼女の家には当然のことながらグランドピアノがあった。
それもその辺の楽器やから買ったものではない。
ピアノの先生である演奏家と浜松にいって音色を確かめて買ったという代物だ。
その彼女に結婚の話が出たとき、サラリーマンで転勤族の彼女の恋人は、
グランドピアノが置ける家に住みたいという彼女に言った。
「グラビノーバじゃだめ?」
「DVD」と「グラビノーバ」は、
私の中で同じに聞こえたんだけど。
自分にとっては重大なことでも、相手(他人)にとっては大したことのないこと、
同じ価値観を共有できないというジレンマは世の中にいっぱいある。
DVDがダメなのでも、グラビノーバがダメなのでもない。
ナマライブは、チケット代も高いし、交通費もかかるし、何よりその日その時間を提供しないとならない。
日本の住宅事情では、グランドピアノはふつうではない。
DVDはコンサートに行けなかった人にその臨場感を伝えるし、
好きなときに好きな時間だけ見ることができる。
グラビノーバは、「演奏したい」という人の夢をたくさんかなえただろう。
問題なのは、もっとも近しい人と同じ価値観を共有できないときのもどかしさだ。
どちらに上下があるということでもないけれど、
その温度差というか、価値観の違いというか、
とうてい埋められそうもない溝を感じたら、
埋めるための途方もない作業をするよりは、
やっぱりやりすごしたほうが、世の中うまくいくんでしょうね。
友人はグラビノーバの彼とは結婚せず、
その後もピアノを生業にはしていると風のうわさに聞いた。
結婚はしたらしい。
私はDVDで十分と言った友人にどれほどライブが楽しくてすてきかを
プレゼンテーションするのはやめて、
すぐほかの楽しく共有できる話題に切り替えた。
もとより、私の価値観を押し付けるなんて、
説得力も持ってないし。
DVDにしてくれるかな、ひたち海浜公園。
(今日のお題とは関係ないけど、こういうの好きなので)