かねてより、
「男は25歳をすぎないとだめよね」
と思ってきたし、周囲にもよくそういっていた。
最近はなかなか中身が大人にならない男も増えてきて、
25歳という区切りも微妙になりつつある。
25歳になってもまだ定職にもついていないし、
それどころか将来の目標さえあやふやだというのがたくさんいるんだから。
かといってその境目を30歳まで持ち上げるというほどでもない。
30歳になると急に見た目も考え方も老ける人がいるからだ。
女は昔から「25歳はお肌の曲がり角」とかいって、
これをおそれて早めにお手入れを始めるから、
見た目の年齢からいうと、25歳ではまだまだという感じがするし、
アンチ・エイジングの技術は格段に進化して40代でもまだまだ若く見える人も出てきている。
まあ、それはあくまで内面ではなく見た目の話だ。
リダが出演する番組観覧の「応募資格」を目にして、
「早く生まれすぎた」と思ったペンは多いと思う。
どれほど時間とお金をリダにつぎ込んでも、
悲しいかな、「応募資格25歳」はあまりに手が届かない。
ハードルはふつう高すぎて届かないものだが、低すぎて、というのもなんだか笑える。
誰が何を言ったか、思ったか知らないけど、
応募資格の年齢制限は、その後応募要項から削除された。
削除されてもその基準は残るんでしょうねえ。
だって厳正なる抽選でない限り、選ぶ権利は向こう側にあるんだから。
ソウルのリダファンミに行った友人に、
ちょっとがっかりして帰ってきた人がいる。
「リダが韓国では楽しそうで、なんかさみしくなって、ちょっとがっかりした」
のだそうだ。
昨年のツアーで見たリダより、ずっとリラックスして話すリダを見て、
うれしいよりさみしかったんだって。
日本語の通訳が入らず、言葉がわからないという疎外感があったせいもあるだろうけど。
何を期待して行ったの?と追及したくなったけれど、
答えを聞くのもちょっと怖くて、それ以上聞けなかった。
ツアー代として大金を払ったことも知っているし。
消費者には支払った対価に対する相当のサービスを要求する権利、
っていうものがあるらしいけど、
新大久保のイケメンカフェで、プラス300円払ったら一緒にイケメンと写真を撮れる、
というわかりやすい世界とはまたちょっと違うんじゃないかと。
よく韓流スターが、
「ファンの皆様から頂く愛が大きすぎて、どうやってお返ししたらいいかよくわからない」
と言って、
「頑張ってもっといい姿をお見せしたい」
と繰り返す。
「もっといい姿」は歌であり演技であり、つまりはスターとしてのパフォーマンスなのだ。
決して「私一人にそそいでくれる優しい微笑み」や「ハグ」ではないはずなんだけど、なあ。
25歳から話がそれた。
年が明けて、マンネもミンもキュジョンも25歳になった。
みんなかっこよく、仕事のできる、やさしくてすてきな大人になって。
男はこれからなんだから。