震災の時、私は原宿の勤務先にいたのだけれど、
震度5強の揺れの直後というのはどういうわけかみんな割と冷静に仕事を続けていた。
崩れ落ちた書類もあったし、ちょっとの間はざわついていたけれど、
取引先との電話やメールもしていて。
前に同じ場所で震度5も経験していたので、
電車が止まっていても点検に1,2時間はかかるから
帰り時間までにはなんとかなるかななんて気楽に考えていた。
テレビが津波の状況を映し出すまでは。
そのうち携帯がつながらなくなり、
都内全部の電車が止まっているということがわかってから、
だんだん不安が大きくなってきたことを覚えている。
週が明けてもまだ電車がちゃんと動かなくて、
2つ先の駅まで往復歩くことになった。
天気が良くて、急ぎ足で歩くと汗ばむほどだったけれど、
今思うと、なんであんな日に会社に行こうと思ったんだろう?
すごく、ふつうにしよう、いつもと同じにしようという気持ちが強かったと思う。
なんでJohn-Hoonなのかというと、
その日、3月14日はJohn-Hoonが除隊後に初めて日本でファンミを開く日で、
それに行くはずだったからだ。
その準備のために、John-Hoonも3月11日は日本に滞在中だったという。
私がいたのと同じ渋谷区内でリハーサル中だったというから、
あの日足元が揺らぐということの不安を実際に感じて怖い思いもしたと思うし、
都内の帰宅難民で埋まった道路をどこかで見ていたと思う。
あの大きな揺れとその後の混乱は、
もちろん被災地に比べたら大したことがないといえるくらいなんだけれど、
でもやっぱり経験してみないとわからないことがある。
確かにあの日を境にちょっと人生観とまではいかないが、
ちょっとした価値観が変わったように思う。
忘れてはいけないことができたというか。
チケットの払い戻しをせず、5月4日に延期されたJohn-Hoonの除隊ファンミ。
がんばって生きていこうというメッセージを込めて歌います、と言った1曲。
節電のために特に派手な照明も舞台装置もなく、
彼の優しい歌声とちょっと忘れかけた日本語でのおしゃべりを楽しむイベントだったけれど、
会場中が、戻ってきたJohn-Hoonの変わらない笑顔の中に、
これまでと変わらずに何かを楽しめる自分を再確認できたようなイベントだった。
楽しいことを楽しいと思えることが大事なんだな、
ということがわかったということでしょうか。