K-POPを聞くようになって、
私たちがふつうだと思っていた日本の芸能界と、
韓国の芸能界は、ずいぶん違うんだなあということがよくわかってきた。
日本のひと昔前のことが韓国で起こっていると思うこともあるし、
全然違うと思うこともある。
新曲の発売日までの1か月がプロモーションの勝負と考える日本と、
発売日(っていうか音源公開)からが勝負と考える韓国。
もちろん、テレビで放送される歌番組の数も違うし、
音響設備が充実したライブ会場が無数にあり、
日常的にコンサートを見に行くということがふつうのことである日本と、
そうではない韓国の違いとか、
業界の慣習だけじゃない要因もたくさんある。
ファンの在り方もそうだ。
日本ではファンクラブは事務所が運営して組織化し、
効率よくチケットやグッズをさばいたり、
場合によってはファンの動きをまとめたりする。
韓国ではファンクラブ(カフェ)の運営はファンたちが自主的に行う。
FCと事務所はその意味で対等であり、持ちつ持たれつの関係を持つ。
韓流スターたちが「ファンを大切にする」ということの意味は、
その関係によって出来上がってきたもので、
事務所でさえ手出しをすることができないからこそ大切にするのであり、
契約切れやお金のごたごたで、事務所とは縁を切ることがあっても、
ファンとは縁を切らないというのは、そういう位置関係だからこそ成り立っている。
そこにすでに、日本と韓国ではスターとファンの距離感には歴然とした違いがあり、
日本のファンが韓国のファンのスターとの親密な関係を羨んでも、
そもそもの成り立ちが全然違うんだから、しかたがないことなのだ。
ファン数が数千から数万になればなるほど、
その運営と組織力には人手とシステムが必要になる。
ファンの数が数十人とかせめて100人くらいなら、
誰かの強力な「カリスマ」で何とかなるかもしれないけど。
それにまたそれが全部「女」であることが、
いろいろ厄介なことに拍車をかける。
去年のリダの日本ツアーの時に、東京フォーラムだったか、
会場にはいってからチラシが回ってきて、
「最後にリダにみんなでお礼を言いましょう」とかいうものだったと思うけれど、
見たときに、「ああ、これ難しいだろうなあ」と思った。
どれほど簡単でも物事を一般大衆に周知徹底させるには、
どれだけの時間と手間と忍耐が必要か、
わかってないかもしれないなあと思って。
「好き」という気持ち、
「応援したい」という気持ち、
「何か伝えたい」という気持ちはきっとみんな同じはずと思っても、
その方法とタイミングはみな違うはず。
おそらく、ファンが一つになれる方法を発信する力は、
その時、その瞬間、リダしか持っていないはず。
リダが飛び上がれば飛び跳ね、
腕を振れば腕を振り、
歌ってといえば一緒に歌い、
聞いてといえば静かになるだろう。
誰もその時、隣の席の人が何をするかなんて、
きっと見ていないし、聞いていない。
私はリダを好きなことを
誰からも強制されているわけではないのだから。