リダペンらしく、
「UNLIMITED」が出てからは繰り返し聴いていますが、
聴けば聴くほど、私の中の「?」が大きくなるのはどうしてでしょう?
期待してた新曲3曲、
どうしてもいまいちな感がぬぐえないんですが、
それって私のリダ愛が足らないせいでしょうか?
全体を通して、今までにリリース済みの曲が大半だけど、
すべて日本語。
そこに問題があると思います。
たぶん、歌詞がよくない。
歌詞がもっとグッとくるものなら、
リダももうちょっとノれたんじゃないかなと、
あくまで「リダは悪くないの」的ではありますが。
そもそもK-POPの歌詞は日本語にしてもそれほどでも・・・
というのが多いと思う。
聴いていると甘っちょろい恋愛の歌詞が多いです。
リズム重視、ダンス重視、全体的に「ノリ」がよければオッケーな感じはあるので、
やたらな繰り返しに、強調されすぎたキーワードが多用されるのはしょうがないとして、
たぶん日本語的な遠回しな、回りくどい表現はあまりないのかもしれないし、
同じ意味を何通りにも使い分ける技もないのかもしれない。
今回の訳詩だか作詞をした人のことはよくわかりませんが、
(うまい!と思うときしか、誰だろう?っていう関心がないので)
日本語のボキャブラリーがあんまりないのかな、と。
ちょっと気障すぎるくらいの言い回しをポイントで使ってくれたら、
それは今どきの若者があまり使わない言葉だとしても、
耳で聞いて、ぱあっとその世界が広がるような文句ってあるじゃないですか。
そういう意味では、「HEAT」もこうやって並べて聞いてみると、
やっぱり詩がいいなあと思えてきちゃうわけです。
「宵」なんて言葉は今どき使わないし、
リダの歌だけを聞いていたら「用意」とか「酔い」に聞こえたんだけど、
歌詞カードをみたら「宵」になってて、
ああそうか、海で浜辺で太陽が沈みかけてて、
これから(今宵限りかもしれない)彼女とどういう夜にしようかって、
そこまで広がる。
J-POPだって、よくよく見れば、好きだの愛してるだの、
言ってる歌ばっかりなんだけど、
記憶に残る曲はやっぱり言葉がよく選ばれている。
ストレートに「愛してる」というには、
それを上回る旋律があるか、もうこれ以上ないって切ないまでの歌唱力が必要。
みんな、ただ愛してるだけじゃ伝わらないから、
あの手この手で言い方を変えてるわけですし。
「朝から晩まで好きと言って」よりも、
「四六時中も好きと言って」と言われるほうが、
なんか日本人としては胸に迫るんです。
直球勝負とか、飾らない素直さとか言っても、
結局みんな、その中でちょこっとだけ垣間見せる意外性が好きなわけだし、
またリダも、そういう一面があるからこそ、
みんなが離れられないわけですし。
リダに意味が分かんなきゃしょうがないっていうところもあるでしょうけど、
やっぱり歌詞とタイトルにはもうひとひねりもふたひねりもほしかった。
CD聴いていてもうまく日本語が聞き取れないのは、
「リダのせいじゃなく」、日本語がうまくメロディに乗ってないせいだと。
(たぶん、曲先行だと思うので。。)
ところで、
来月JJがロックのアルバムを出すんだそうです。
すっごく楽しみです。