4 Chance

K-POPについて日々思うこと。曲やコンサートの感想。

物語は、BEGIN

どの順番で何を歌うか。

ライブの構成や演出の良しあしによっていろいろ変わってくるものだろうが、

歌っているほうは毎日できるだけ均等に、あるいはちょっとずつでも良くなっていくようにと思うのかもしれないけれど、

観客もまたライブの作り手の重要なエッセンスなんだなあということを、

昨日、ジュンスのバラードコンサート初日を見て改めて思った。

初日というのは、もちろん日程とか場所とかの都合で行けたり行けなかったりするものだが、

会場のだれもセットリストを知らないっていう空気、

次に何が起こるんだろうという緊張感は、

これをやったらどういう反応がかえってくるんだろうという

ステージ上の不安や期待と同じくらいの大きさ何だろうと思う。

私は事前にセットリストを目にしてもあまり気にしないし、

絶対知りたくない、その場の感動を味わいたいからというほどの気合いもいつも持っていないけれど、

初日は見るほうにとっても初日なわけだし、

次の曲が始まったときのリアクションっていうのは本当に正直な声だと思う。

後半8分間の東方神起メドレーのおかげで、

オープニングのミュージカル曲はちょっと影が薄くなった感じもするし、

バンドはともかく、オーケストラは代々木体育館では音が割れすぎちゃって気の毒だった。

(私の席が2階の中央だったということもありますけど)

でも、いろいろなタイプのバラードを次々歌うなかで、

ジュンスがくりだす、ある時は緊張感のある、

ある時はとても和やかな、またリズミカルなムードは、

その都度会場の空気をあたたかくしたり、やわらかくしたり、また熱くしたりした。

2日目はまた、次に何を歌うかがわかっているというぞくぞく、わくわくした気分も盛り上がって、

違う景色を作り出すのだろう。

よく、歌手(や俳優)たちが、「新しい別の姿をお見せしたい」というけれど、

ジュンスは一つの公演の中で、次々に違うジュンスになり、

でも終わってみるとどれもジュンス色に染まっていて、

それでいて、前に見た時よりまたもっとうまく、というか熟成した感じがする。

ジュンスはワインか!?

寝かせておいたからより熟成して味が濃くなったという言い方はかわいそうだけど、

まあでも、彼は錆びないようだ。

ジュンスはいつも歌詞にメッセージを乗せるので、

メドレーに選んだ7曲も、単に今まで歌えなかった曲を歌うというだけじゃなくて、

今の気持ちをいちばんあらわしている歌詞を抜き出して歌ったと思う。

普通にできていたことが、何かの拍子にうまくいかなくなったりできなくなったりしたあと、

また何かのきっかけにもとにもどることがあっても、

前と同じように気軽にふつうに接することができなかったり、ぎこちなかったりすることはよくある。

その気分は安堵とも興奮ともいえるけれど、

「とまどい」という言い方が一番あっているような、昨日のメドレーの歌いだしの空気だった。

私の周囲は(というか会場の大部分は)いきなり泣き出して、

今までのライブではみたことのない光景だったけれど、

私は泣くどころか、「ジュンス、よくやった!」と思って笑いながら大きく拍手していました。

オルでもオンリでもホミンでもありませんけど、

何十回?聞いたかわからない東方神起のアルバム。

彼らの誰かが歌わなければ、誰も歌わないこの曲たち、

カバーされることもなくて、この先もずっと聴けないのは残念すぎると思っていたし、

封印を解かれるとすれば、また彼らの誰かによってだろうとは思っていたけれど、

その「何かのきっかけ」に立ち会えたことがとてもうれしいし、

やっぱり時間が解決することはあるなあと思う。

ジュンスはもっと、歌う場を与えられるべき人でしょう。

才能と努力だけがあっても、やっぱり場所が必要。

ふだん彼のまわりにはいろんな人やいろんな声があるかもしれないけど、

少なくともコンサート会場では、歌う彼と彼の歌を聴きたい人しかいない。

過去にいろいろあったときも、

「闇の深い夜でも 必ず明日は来るから」

という歌詞は心にずしんと響いたけれど、

今は漆黒の闇よりも少し黎明ぐらいの感じでしょうか。

なにしろ、オルでもオンリでもホミンでもない私が、

つい数日前はウネの「Ten Years」にあんなに苦労したのに、

けっこう歌えたことにホントにびっくりした。

「BEGIN」 by  東方神起

いままでほんとうに「覚めない微熱」のような年月ではなかっただろうか。

この先いったい何幕まで続くのかはわからないが、

わかっているのは、登場人物のいない物語も、

観客のいない舞台もない、ということだ。