いつから独自目線の「今年の1曲」を選んでいるんだっけ?
とおもってちょっと振り返ったら、2011年からだった。
理由はわかってる。
2010年にSS501が活動を休止して、
ほかのK-POPに目を向けざるを得なかったというか、
目移りしたというか。
ちょっと振り返る。
2011 Fiction
2012 Chaser
2013 Everybody
2014 Spellbound
あ~。いいね。
わたしごのみ。
今年はあんまり迷わずこれに。
夏にこれを聞いた時から決めてたけど。
「MAMACITA」が出て、SJの方向はどうなるんだろうな~と思っていたので、
「Devil」の路線にはちょっとホッとしたところがある。
キワモノの方向へ行きすぎなくてよかったというか。
K-POPは少年を妙に大人っぽく見せたセクシー路線が多くて、
そりゃ少年じゃなくなったら何をどう見せるんだろうと思っていたけど、
案の定、その過程で方向性を見失ってるアイドルが多いと思う。
ガールズがちょっとでもお肌の張りを失ったらどうするんだという以上に、
少年っぽさをなくした大人はどうするんだろうと心配していた。
大人のなり方が難しい。
少年老い易く、芸なり難し。
もちろん、長年やっていれば音楽性だけじゃなくそれなりに問題もおこって、
契約やお金の問題、グループ内の確執、恋愛だの結婚だの、
そういう問題を乗り越えていくことで、
社会人的には大人になっていくんだろうけど、
アイドルとしてはどうなの。
Super Juniorはいつごろからか、長~い時間をかけて、
俺たちはいつまでもキラキラした子どもじゃないっていうのを、
ペンたちに催眠術をかけるように言い聞かせてきたような気がする。
たぶんトゥギが兵役に入るあたりから。
(最初に入ったのはカンインだけど、それはたぶん想定外の順番だったので)
全員が兵役を終わるのに10年かかると言われていたけど、
キュヒョンが除隊するまでには、違うグループになっているように思う。
表面的にはあいかわらず昔と変わらないSuper Juniorでしょ?と言いながら。
音楽的には「Devil」はその転機になったと思う。
もっといえば、「MAMACITA」に収録された曲を見れば、どこにもその片鱗は見えたんだけど、
活動曲に「MAMACITA」が選ばれたために、それは表向きにはわかりにくかった。
SS5とSS6を見比べたら明らかだけど、
スパショは見に行かない人たちにはわからないので、
「Devil」によって、はっきりしたというか。
SJのアルバムはスパショありきのところがあって、
ライブ(スパショ)をどういう構成にするかと言う必要にせまられて選曲されている、バラエティの豊かさがある。
ちょっと意地悪く言えば、流行に乗っていないので、
すごい新しさがないかわりに、いつ聴いても古さがない。
すごい新しいということは、ちょっと時間が立てばすぐに埃っぽく感じるということだが、
SJはそのホコリをきれいにはらって、新しく見せるという技を持っている。
「Devil」はいわゆるK-POPらしくないが、
SJがいままでにためこんだ技をふんだんに盛り込んでいる。
たぶん次はこうだろうという予想をさらっとかわして、目くらましに会ったような感じ。
もう、一糸乱れぬダンスとか、若さゆえの暴走とか、
一生懸命さとかで勝負しない代わりに、
「個」の強さとその1つ1つが化学反応した面白さを見せた。
良く見ると、決めるところでもポーズもバラバラだし。
でも、一人ひとりがほんの数秒の「見せ場」をちゃんと魅せているし、
ほかのグループには出せない「味」を出している。