4 Chance

K-POPについて日々思うこと。曲やコンサートの感想。

踊る、リダ

1週間に3つのコンサート、それも毛色の違うのに行くことになったんだけど、

まあ、こういう時もある。

韓国というかK-POPにはまってから、

私が何度も痛い目にあって、教訓を得た結果だ。

「見られるチャンスを逃してはいけない」

「いずれ」とか「そのうち」「こんどまた」というのは「二度とない」に等しい。

だってそもそも、私と彼らは「国」が違うんだから。

あっちが来なくなることもあるし、こっちが行けないこともある。

だから、「行かない」と思った時以外は、日にちさえ重ならない限り「行く」ことにしている。

行かなきゃよかったと思うより、行けばよかったという後悔のほうが強いから。

SHINee、バラードコンサートに続いた1週間の3つ目は、リダのコンサート。

4日のNHKホールの夜の部。

去年の7月に続き、早くも除隊後2度目のツアーで、

まわりは誰も行くと言ってくれなかったけれど、

やっぱり行ってよかった。

去年はバンドを従えたロックバージョンのコンサートだったけれど、

今回はダンサーをいれたダンスバージョンのコンサートだった。

と言ってもフルで踊ったわけではないけれど、

すごく久しぶりに「踊るリダ」を見た。

入隊前の幕張以来。

それに去年の7月のパシフィコ横浜に比べて、だいぶリラックスした表情も見られたし。

リダがくったくなく笑う顔を見るのは本当に久しぶり。

日本公演はワールドツアーのひとつで、

ソウルや南米で公演を終わっているということもあるだろう。

NHKホールっていう適当な大きさの箱だったこともよかったかも。

16列目?とかだったので、チケットを発券したときは割といい席と思ったけれど、

NHKホールの1階は20列目までしかないので、けっこう後ろでした。

でも、どうしても前で見たい、という欲はないのです。リダに限って言えば。

もう、ほんと、戻ってきてくれて、ありがとう。

何度もコンサートに足を運んだペンには、相変わらずの、

持ち歌を並べ替えただけのコンサートだけど、

(ケチをつけているわけではない)

何度も聞いているからこそ、ちょっとずつの違いがよくわかるし、

幕張ともパシフィコとも違う、コンサートを楽しんでいるリダがよく分かった。

「僕は歌手でよかったと思います」

リダのコメントは、「俳優だったら、こうやって(つらいときに)直接ファンに会える機会はなかった」

というように聞こえる。

歌手だから、外国での公演ができるわけだし、

自分の国とは違った空気を楽しめるかもしれない。俳優もやりたいとは言っていたけれど、まだ少し時間がかかりそう。

客席は、今回のツアーのペンラよりも、

圧倒的に重量感のある宇宙人ペンラで満たされていた。

それでも、あまり興奮しすぎない客席をちょっと物足りなく思うのか、

時々、声を出せとか元気ないですねとかいうけれど、

それが不満だという風でもなく、なんかこっちの心配をよそに淡々と進行している。

いや、客席の声も、前回よりずっと出ているし、そろってきたと思う。

ファンも2年ちょっとのブランクから立ち直りつつある。

昼の部では元気のない客席に、

「心配ごとでもあるのか。ごはん作ってこなかったんですか?」と聞いたらしい。

以前のリダなら想像もできないコメントだ。

それって、「ごはん作ってあげないといけない家族がいる年齢層」っていうことを

納得してるってこと?

前は、わかっていても「ファンは若いほうがいい」と思っていたと思う。

そういうのが言葉の端々、ひょいとしたしぐさに表れていた。

自分以外のものは目に入らない、若い子が好きだったはず。

本質は今でも変わらないかもしれないけれど、

「ごはん作ってこなかったんですか?」という言葉には、

後ろにちゃんと家族がいるから、みんな安心してここに来るんだよねっていうことを

念押しされたような感じがする。

「ごはんは作ってきたから心配しないで~!」とでも返事をしたくなるようなコメントだ。

リダのことだから、たぶん深い意味はない。

でも、何か不安を抱えている人は、不安を抱えるリダを見にこようとは思わないと思うので、

その軽口はちょっと、「僕もそろそろ大丈夫」というようにも聞こえた。

リダを見に行って、まだ、元気をもらえるというほどではない。

とにかく、リダが元気でほっとする、というレベルだ。

次のアルバムの曲を作ったり、プロデュースをしたりする、と聞いて、

まあ、それがどんなものであれ、

リダが自分で前に進もうとすることが大事。

ところで、踊るのはなかなか大変そうだ。

軍隊に行く前は、踊っても疲れたりしなかったというが、

除隊後は、鍛えないとだめだという。

(そうか、やっぱり疲れなかったのか)

鍛えた筋肉でちょっと踊りづらそうでもあったけれど、

1日2回の「踊るコンサート」を頑張っていた。

この先、踊るコンサートはそう何回もない、というが、

以前は踊るのは30歳までとか言ってたんだし、

まあいろいろ事情も変わって、現状ではペンのほうがちょっと強気というか、

ペンが期待するのならもうちょっとやってくれるのではないかな、と思う。

次のコンサートに私が期待することは何だろう?と考えてみたけれど、

あれだな。

降ってくる銀テには、何か印刷しよう。

もう、せめて、サインとか、ライブ名だけでも。